2001年 秋 : 雪辱のコパ・デ・レイ

オスピタレットのトップチームに就任して1年目。2001年の秋だったか、信じられない事件が起こった。
スペイン2部Bリーグ(3部に相当)に属するオスピはリーグもカップ戦も順調だった。
スペインで唯一、下部のリーグが1部のリーガエスパニョーラと公式戦で戦えるのはこの、コパ・デ・レイのみ。日本の天皇杯といえばわかりやすいでしょう。
ベスト16で当時リーガ1部だったレアルソシエダを倒し、次はベスト8で同じく1部のデポルティーボ・ラコルーニャとの試合だった。ベスト8からはホームアンドアウエーとなる、第1戦目のオスピホームでの出来事。
当時、スペインサッカー協会の既定で、カップ戦の公式戦は天然芝のグランドで行うのが義務づけられていた。しかしながら、相手チームが了承すればその規定は適応されず、人工芝であっても試合を行うことができる。
了承して試合をしたレアルソシエダはオスピの人工芝グランドで試合をした。ところがデポルは「規定通り人工芝では試合はしない」という。
オスピの会長は「うちのホームで試合をしないとは何事だ!」と怒りをあらわにしてデポル側に噛みつく。このままではらちが明かないと、協会のはからいで天然芝のバルサのサブスタジアムを借り、そこで試合を行うように手配をしてくれた。しかし、オスピの会長は首を縦に振らない。「ホームはバルサのスタジアムじゃない。ここだ!」とさらにヒートアップ。
正直、選手やスタッフにとってはグランドなどどこでもよかった。デポルと試合をして勝つことが最優先なのにそれができないはがゆさが何日も続く。
選手、スタッフ、会長と全員参加の会議が急遽開かれた。監督が会長に何度も試合をさせてくれとお願いするも、「ホームでなければ絶対に試合をさせない!これ以上言うとここでお前を首にするぞ!」と全員の前で怒鳴りちらした。会長は権力をふるい、監督はその見せしめにあった。
重苦しい空気が流れ全員がデポルとの試合を諦めた。
試合当日、デポルはバルサのサブスタジアムでアップをしてキックオフを待つ。我々は人工芝のグランドでいつもどおり練習をする。
この事件はスペイン全土にライブ中継されオスピのワンマン会長は一躍有名になった。我々は不戦敗となりデポルが次に勝ちを進めた。
腹立つ会長だったが、会長はクラブの最高経営者。誰に雇われているわけではないし、長年このクラブを守ってきた人である。こんなにわがままで傲慢な会長がスペインにはたくさんいる。つづく。
山田 晃広




















