2000年3月 : 再来日!

日本に帰国して、すぐに彼女と(現奥さん)バルセロナに渡った。 (当時、彼女は仕事を持ち退職が3か月くらい先だったので、10日間という短い滞在で彼女は日本に一人で帰国する)

バルセロナでの生活は大きな決断でしたが、入籍というもうひとつ大きな決断もした。
思い切ってスペインで入籍することになり、バルセロナの日本領事館で入籍を済ませ、 婚姻届の証人には羽中田夫妻にお願いして我々は夫婦となった。

収入もなく、新居もなく、身分も留学生でこのさきどうなるかわからないが、 不思議と不安よりわくわくする気持ちの方が多かったのを今でも覚えている。

新居が決まるまでなるべく安いホテルに滞在しなくてはならなかったのだが、前回のようにホテル選びに失敗しないよう、今回は日本人が経営するアパートメントホテルに2週間の長期ステイの予約を入れておいた。

ホテルに到着すると、大きな不安が頭をよぎる。古いビルの7階の最上階がホテルになっているのだが、 外見は築80年はいっているだろう。正直暗くて汚い。常識ではあるはずの「エレベーター」がない。信じられなかった。ビルが古すぎてエレベーターがないのである。
我々は7階まで2つで約60kgはあろうトランクを持って上がることに・・

しかし、これもまた試練。その日から約2週間、外出するたび、7階まで昇り降りを繰り返す。体はきつかったが、このホテルはバルセロナ情報の宝庫だった。 レストラン情報、観光情報、危険地域エリア、サッカーチケット購入、日本人オーナーのきめ細かい配慮がありがたい。 洗濯時間や、シャワーの時間帯、門限などもきっちり決まっていて細かすぎるくらいだ。

ここでの滞在目的は2週間で新居を決めること。
さすがに一人ではどうにもならないので羽中田夫妻に協力してもらい、アパート選びのコツやノウハウを伝授してもらう。 日本と同じ不動産屋に行けば簡単だが当然、仲介手数料がかかる。それを避けるために、新聞や街に出ている看板などで情報を見つけてコツコツと探していく。
予算は月7万ペセタ(日本円で5万5千円くらい)の家具付きを条件にしていた。
5~6件回るとようやくバルセロナの中心から地下鉄で15分くらいのエリアの1LDKの比較的新しいアパートを見つけた。 7万5千ペセタで少々オーバーしたが、キッチンも洗濯機も新しく、スーパーも駅も近くにあり治安もいいところだったのでここに決定。(と同時に今まで一緒に行動した妻も10日間がすぎ日本へ帰ってしまう)
羽中田まゆみさんが通訳をしてくれて無事アパートの契約終了することができた。

スペインのアパートやマンションの1階にはポルテーロ(管理人)という人がいる。
大家さんから、クリストバルという頭の薄い、初老の男性がここのポルテーロだと紹介される。 クリストバルは小柄でメガネをかけてみるからに優しそうな外見をしている。まゆみさんは私に「彼にプロピーナ(チップ)を今払っておくといいよ」とアドバイスをくれた。あまり納得いかなかったが結局プロピーナは1万ペセタ(8千円)と高めに払うと、クリストバルは満面の笑顔で「これからもよろしく」と握手をしてきた。結果、住んでみるとブレーカーが落ちたり、洗濯機が故障したりいろいろ問題があったがいやな顔せず敏速に対応してくれた。(高かったが払っておいてよかった)

アパートの下がBAR(バル)になっているのだが、そこでウエイターとして勤務する。
サニーという青年をクリストバルから紹介された。「彼は英語もできるしまだスペイン語のわからないヤマ(私の愛称)でも英語ならなんとか話せるだろ」とひとりで生活している私に気を使ってくれたのかもしれない。
17歳のサニーはフィリピン人で、浅黒い肌で、日本人の高校生とかわらない体型をして、いつも話しかけてくる人なつっこい性格だ。
スペインの植民地だったフィリピンは昔スペイン語も使われていた背景があるのか、彼はスペイン語と英語が堪能で、私にバルセロナでの生活のノウハウを教えてくれた。 つづく・・

山田 晃広

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