1999年12月 : いざ、バルセロナへ!

スポーツライターの増島みどりさんや川内イオさんが、手がけた本をご覧になられた方にはある程度、私がスペインへ渡りフットボールの仕事にたどり着けたことはご存じだと思います。ですが本には書かれていない私の恩人や面白・苦労エピソードもたくさんあるので僭越ながら、少しずつご紹介させていただきたいと思います。
今から約10年前の1999年12月。初めてスペイン・バルセロナへ渡りました。
目的は、羽中田昌氏(現カマタマーレ讃岐監督)に会い、バルセロナでの生活を直接、伺うことでした。
当時、勤めていた会社(グローバルスポーツ医学研究所)の社長に無理を言って10日間程度休みを頂き、バルセロナに向かいました。
到着した日のホテルは最悪。日本から格安で予約したため、薄暗い人気のない路地を入っていき、一人いるホテルマンは英語も話せずスペイン語のみ。
案内された部屋はボロボロで鍵もかからないホテル。とりあえず朝まで部屋から一歩も出ずに部屋でひたすら待機(なんか物取りでも入って来そうだったため寝なかった。)
明るくなりチェックアウトをして公衆電話から羽中田氏に連絡してバルセロナの中心、カタルーニャ広場で待ち合わせとなり、約束の時間になると羽中田氏とようやく対面。車椅子をスムーズに動かし、さわやかな笑顔で「どうも!羽中田です。こっちは妻のまゆみです」と奥さんもご一緒でした。
12月なのに日本よりも暖かく、昼間はコートを脱ぐくらいの気候にも驚いた。
すぐに近くにあるBAR(バル)で飲み物を注文してもらう。昨夜、スペイン語の話せない私は、ホテルで大変な思いをしただけに、さらっと注文をするまゆみさんのスペイン語に感激。
最高においしいカフェ・コン・レチェ(カフェオレ)を飲みながら羽中田氏にバルセロナで生活したい自分の思いのたけをぶちまけた。
資金、学校、仕事、家族と様々な問題があるが「絶対にここに住む」と決めて日本を離れたので、この10日間、名目は「視察」のようだが自分の中では99%バルセロナで生活することを決めていた。 ビザに必要な手続き、入学金支払い、必要な書類をこの10日間ですべてそろえ、合間合間で観光したり街中を散歩しながら見るものすべてに感激していた。
当時はまだユーロではなくペセタがスペインの通貨。カフェ・コン・レチェ(カフェオレ)が100円くらいだったか。とにかく物価もまだ安く、地中海があり、魚介や肉料理もおいしく、圧巻するスケールのサグラダファミリア、そしてフットボールがある。こんな夢みたいなところで生活する自分を想像すると、いてもたってもいられなかった。
10日間のうち1日だけFCバルサの試合をカンプ・ノウで観戦した。相手はバレンシアだった。
よくわからないが結構高いシートを買って、リバウドやクライファートをみてJリーグとのあまりの違いに言葉も出なかった。自分の気持が99%から100%バルセロナに住むことに決まった瞬間だった。
日本に帰国してすぐに大使館へ書類を提出して、すぐに会社に退職願を提出。当時の上司は私がバルセロナで生活する旨を伝えると、あきれた様子というか、もうあきらめた様子で、最後は背中を押してくれた。
7年勤めたグローバルスポーツは自分のトレーナーとしての基盤を形成してくれたところで、ここで働かせてもらっていなければ、バルセロナへ行く自分もいなかったのでとても感謝している。
つい先日も昔の上司にご挨拶に行き、感謝を忘れないようにしている。
2000年1月に退職してまたすぐにバルセロナへ渡る。今度は、当時お付き合いしていた彼女(現奥さん)と二人で渡った。そこからがまた大変だった・・・つづく。
山田 晃広




















