
スペインがW杯で初優勝!
勝利した直後にバルセロナ在住のスペイン人の知人に連絡してみたところ「見たか!我らの勝利!おれたちは世界ナンバーワンだ!」と豪語していた。
「おれたち」というのはスペイン国民のことではなく、代表メンバー8人のFCバルセロナの選手もしくはバルセロナの育成育ちのカタルーニャ人のこ

スペイン、初のファイナルリスト。
スペイン代表(FCバルセロナ)DFカルレス・プジョールの執念のゴールでスペインは歴史上初めて
W杯の決勝に進んだ。
2年前のクラシコ(バルサVSマドリード)の試合で接触して膝を負傷しながらもドクターとトレーナーを突き飛ばしグランドに入る姿はまさに闘将プジョール。

スペイン放浪記:番外編①
2009-10年のスペインリーグが終了しました。FCバルセロナが宿敵レアルマドリードの追撃を抑えてリーグ戦2連覇を達成。
が、日本のメディアには注目されないカードがある。フットボールの玄人なら残留・降格争いもリーガの見どころなのである。
「ネルビオッソ、ムイネルビオッ

キャンプも無事終わり、サンタンデール市内に拠点を置いた私は、まず家探しからスタート。
引越は以前にもバルセロナで何度か経験していたのでそれほど大変でもなかったです。
不動産屋を通すと手数料がかかるので、新聞、雑誌などを片っ端から見て、大家さんと直接交渉するのが基本。
驚いたのはバルセロナと違い、

とにかく夏のキャンプは忙しい。先輩トレーナーらにも気持ちよく働いてもらいたいので朝6時に起きてトレーナールームの準備・清掃からスタート。
選手らはフルーツを食べてすぐさま山道ランニング。その後、朝食をとり9時半からフィジカルトレーニングを行い、午後はシエスタ(昼寝)を挟んで2時間ボールトレーニング。

2003年ラシン・サンタンデールの夏のキャンプが始まった。その前に、この時期のラシンというチーム事情が複雑だったので説明させて頂きます。
ラシン・サンタンデールというチームは二人の権力者により会長の座を争われていた。
スペインでサッカークラブの会長に就任するには、バルサやレアルマドリーのように選挙に

オスピタレットでの3年間のトレーナー生活も終り、2003年からはバルセロナから北西へ約700Km離れたサンタンデールへと私の活動場所は移ります。(実はこの前に一時帰国したり、ロコケアを立ち上げたり、渡部拓氏をはじめ自分の家族、私のわがままで多くの人に迷惑をかけてサンタンデールに向かいました)
サ

更新が大変滞ってしまい申し訳ございませんでした。
さて前回からの続きでスペインの2部Bリーグに所属していた私はクラブからの給料滞納がしばしばあり妻にも迷惑をかけたお話をさせてもらいました。
当時日本のある大企業の駐在でバルセロナに赴任していた熱烈なフットボールファンである中野氏と私は出会いました。

2部Bリーグのオスピはプロチームとは言えども資金繰りに大変であった。
当時オスピのチームドクターは、中村俊輔選手が所属するエスパニョールのチームドクターがオスピも兼任していて週に一度、クラブハウスに来て診察をしてくれていた。
エスパニョールで使わなくなった備品やテーピングなどをこっそり持ってきて

オスピタレットのトップチームに就任して1年目。2001年の秋だったか、信じられない事件が起こった。
スペイン2部Bリーグ(3部に相当)に属するオスピはリーグもカップ戦も順調だった。
スペインで唯一、下部のリーグが1部のリーガエスパニョーラと公式戦で戦えるのはこの、コパ・デ・レイのみ。日本の天皇杯と