山田トレーナーの
スペイン放浪記
の一覧

2002年 春:スポンサー

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更新が大変滞ってしまい申し訳ございませんでした。 さて前回からの続きでスペインの2部Bリーグに所属していた私はクラブからの給料滞納がしばしばあり妻にも迷惑をかけたお話をさせてもらいました。 当時日本のある大企業の駐在でバルセロナに赴任していた熱烈なフットボールファン

2001年 冬 : 給料滞納

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2部Bリーグのオスピはプロチームとは言えども資金繰りに大変であった。 当時オスピのチームドクターは、中村俊輔選手が所属するエスパニョールのチームドクターがオスピも兼任していて週に一度、クラブハウスに来て診察をしてくれていた。 エスパニョールで使わなくなった備品やテーピングなど

2001年 秋 : 雪辱のコパ・デ・レイ

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オスピタレットのトップチームに就任して1年目。2001年の秋だったか、信じられない事件が起こった。 スペイン2部Bリーグ(3部に相当)に属するオスピはリーグもカップ戦も順調だった。 スペインで唯一、下部のリーグが1部のリーガエスパニョーラと公式戦で戦えるのはこの、コパ

2001年7月 : トップチームのトレーナーへ

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サッカーキャンプも最終日を迎え、子供たちとも明日にはお別れ。 そんな夜にユースの監督のサンティから電話がかかる。 「来年はユースではなくトップチームでトレーナーをしてみるか?」という内容であった。 実はキャンプに出発する前、私はサンティに来年の相談を

2001年6月 : 元バルサのストイチコフ・アカデミーへ参加

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バルセロナへ渡り2年目となる2001年。ようやくスペイン語の日常会話が安定して、サッカーの専門用語やトレーナー的な専門用語も覚え始めていた頃だった。 私は無償でオスピのユーストレーナーをしていたため、何とか仕事がないか探していたところ、 知人の紹介で元FCバルセロナのストイチ

2001年4月 : スペインユースリーグ

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『リーガ・エスパニョーラ』(正確には昨年からスポンサーの関係で1部リーグをリーガBBVAというが)にたどり着くには、100年以上フットボールの歴史を誇るスペインのシステムが完璧に機能している。 強く優れた選手、スタッフ、育成システム、地域貢献、財政力どれが欠けてもリーガBBVAにはたどり着け

2000年7月 : オスピ入団へ

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2000年7月無事ビザの申請も終わり、ひとまずバルセロナに拠点を置くことができました。 次のステップはサッカーチーム探しです。 立場は留学生ですが語学を学ぶことだけに来たわけではないのでここからが本当の目的を達成するために動かなくてはならなかった。 <p

2001年4月 : バルセロナ警察署

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バルセロナでの最初の生活は、午前は語学学校へ通い、昼は同じクラスの外国人とスペイン語のレッスンもかねて昼食。 午後は特に決まったことはないのでひたすらバルセロナを歩いて情報収集に勤しんだ。 アパートの下に住むサニーからバルセロナでのローカルな生活を教わるがこれがま

2000年3月 : 再来日!

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日本に帰国して、すぐに彼女と(現奥さん)バルセロナに渡った。 (当時、彼女は仕事を持ち退職が3か月くらい先だったので、10日間という短い滞在で彼女は日本に一人で帰国する) バルセロナでの生活は大きな決断でしたが、入籍というもうひとつ大きな決断もした。 思い切ってス

1999年12月 : いざ、バルセロナへ!

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スポーツライターの増島みどりさんや川内イオさんが、手がけた本をご覧になられた方にはある程度、私がスペインへ渡りフットボールの仕事にたどり着けたことはご存じだと思います。ですが本には書かれていない私の恩人や面白・苦労エピソードもたくさんあるので僭越ながら、少しずつご紹介させていただきたいと思いま

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